本質的にやり方を間違っている学生が少なくない

昨日は地元弘前大学で自己認識をテーマに学習会をしました。その余韻もあって、今回は今日から活用できるプチSelf-awarenessネタを紹介します。

自己認識(Self-awareness)を取り組むなかで、多くの人が内省を行うのですが、そのやり方に「問題アリ」なのです。私自身も初めてしたときはドキッとしたのですが、実は自分について考えるという行為は、自分について知ることに何の関係もない、ということが専門家の研究で明らかになっているのです。つまり、「考える」=「知る」ではないということです。

あなたは、内省って自身のことをアレコレ考えることだと捉えていませんでしたか? 実はそれ、間違っているのです。

ちなみに、内省する能力は人間独自のものです。チンパンジー、イルカ、ゾウ、ハトでさえ、鏡に映った自分の姿を認識できますが、人間だけが内省という能力を持っているのです。つまり、自分の思考、感情、意志、行動を意識的に検証することができるのは人間だけが持っている特別な能力なのです。

多くの人は、自分の思考、感情、行動については自分が一番よくわかっていると考えているのですが、その多くが自分を見誤っているのです。

たとえば、100人に「あなたは自己認識ができていますか」と尋ねた調査では、95%の人が「はい」と回答しました。その後、「はい」と答えた95%の人に専門家が自己認識診断を実施したところ、実際に自己認識が高いと評価された人は10~15%であったのです。

あなたは内省をするとき、なぜと自信に問うことはないでしょうか?

じつはこの問いが間違いの始まりなのです。自分の思考、感情、行動の原因を検証するとき、一番簡単でもっともらしい答えを探してしまうのです。さらに、一度自身のなかで答えを見つけると、大抵そこで他の選択肢を見ることを止めてしまうという悲しいサガが人間にはあるのです。

そして、自分が見つけた答えが正しいか間違っているかを確認する方法など持ち合わせていないのに、時と場合によっては、自分が信じている考えを裏づける理由をでっち上げてしまう「認証バイアス」を働かせることにもなりかねません。そして答えは自分が認識する自己像を反映したものであるため、それを真実だと受け入れてしまうのです。

これは、「なぜ」と問いかけた瞬間に問題がややこしく不明瞭になって、だからこそ目についた「気づき」らしきものに自信をもって飛びついてしまうという人間が持つ特性の一つなのです。

専門家は私たちが自己内省を行う際に「なぜ」を使うことに警告を示しています。

  • 「なぜ」と問うと、サボりがちな脳が私たちをミスリードさせてしまう可能性があります。
  • 「なぜ」と問うことは、決断の質を低下させる可能性があります。
  • 「なぜ」と問うことは、精神背衛生に悪影響を与えます。

では、なぜと問うことが、自分の真の思考、感情、意志、行動の理解につながらないとするならば、何を問えばいいのか? と思いますよね。その気持ちはよく分かります。かつての私がそうでした。

内省のやり方を改善する方法はいくつかありますが、その一つをご紹介します。そのポイントは、「なぜ?」から「なに?」に変えることです。

「何/どんな」と問うことによって、自分についての新たな情報を発見することに対して、オープンになれることが明らかになっています。たとえその情報がネガティブなものでも、いま自分が信じていることに反するものでもです。一方、「なぜ」と問うことは、その正反対の影響があるのです。

専門家によると、なぜと問うと、人は被害者のメンタリティになってしまうのだそうです。だから永遠にセラピーに頼ることになる。こころの平穏が乱されたときは、「何が起こっている?」と自分に声をかけるのです。他には、「自分は何を感じているの?」。「自分の中でどんな会話が繰り広げられている?」。「どんな風にすれば、この状況を別の観点から眺められる?」。「より良く対応するためにはなにができる?」などが紹介されています。

内的自己認識においては、なぜではなく何というというルールが、大きな効果をもたらします。そして、このルール変更は、被害者意識から成長への変化とも言われています。

今日は、就寝前の10分、時間をつくって内省をしてみてはいかがでしょうか。この習慣を身につけると大きな益を享受できると世の成功者たちは語っています。

「なぜ」から「何/どんな」にシフトする習慣を身につけ見てください。但し、このシフトはあくまでも自己内省についてのことです。自分以外の会社やチームの内省には「なぜ」は必要です。このとこもちゃんと押さえておいてください。

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