ワークライフバランスという言葉を知らない就活生はまずいないのではないかと思います。同じように、自身のなかでは若干おぼろげ感があったとしてもキャリアプランがある程度はっきりしていた方が就活をスムーズに進められることもわかっているのではないかと思います。
今回は久しぶりに良書紹介をします。社会に出る前の大学生に呼んで欲しいと強く思った一冊です。良書と評判が高い【世界は経営でできている】のなかで著者である経営学博士の岩尾俊兵氏は、誰もが人生を経営する当事者であると記しています。そして次のように語っています。
幸せを求めない人間も、生まれてから死ぬまで一切他者と関わらない人間も存在しないからだ。他者から何かを奪って自分だけが幸せになることも、自分を疲弊させながら他者のために生きるにも、どちらも間違いである。「倫」理的な間違いではなく「論」理的な間違いだ。
世界は経営でできている
本書では、日常にある「経営の失敗」をユーモラスに書かれているのですが、そのなかで、「就職活動は三文芝居の笑えない喜劇で満ち溢れている」と書いています。
しかもほとんどの就活生はそれを演じていることに気が付いてすらいない。たとえば就職活動において数百社から無残にも入社をお断りされた悲劇的な就活生の話題は日常的に耳にする。だた、よくよくきいてみると、そして冷静に一歩引いてみると、そうした就活生は明らかな経営の失敗によってみずから悲劇的状況に陥っていることがわかるだろう。しかも書類上の学歴・経歴が人一倍立派な就活生ほどこの罠にはまる。こうした就活生は、まず、大抵において真面目である。だから日商簿記2級、英検準1級、普通自動車第1種運転免許、お洒落カフェ会員証くらいは持っていたりする。しかしいざ就職活動が始まって副ゼミ長と副部長まみれの(実に人口の半分が副ゼミ長・副部長経験者と思えるほどだ)有能アピール大会に参加しているうちに不安になる。そこで「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式で、50社、100社と他の就活生の何倍もの数の企業に入社希望を出す。するとひとつの企業の応募書類(志望理由、学生時代に力を入れたこと、自己PRなどなど)にかける時間と労力が相対的に少なくなる。そのため、たとえその就活生が他者と同じ能力を持っていたとしても、出来上がった応募書類の出来栄えは当然ながらライバルたちの数分の一以下だ。その結果これまた当然ながら書類審査で落選する。あるいは運良く面接に進めても、そこで改めて応募書類を読まれてその稚拙さに呆れられる結果となる。応募書類を使いまわしすぎて貿易商社の志望理由に自動車製造企業の志望理由と同じことが書いてあったりするのだから、怒られないだけましだろう。
世界は経営でできている
まさに二度とない自分の人生を経営しているという自覚が欠如した者のように描かれていますが、著者は慶應義塾大学商学部准教授であり、描かれたような就活生を多く観てきたのだろうと推察するのです。
さらに就活生の喜劇/悲劇は続きます。近年の就活を「経営」という軸で観察すると、上手くいかないその理由が誰の目からも明らかに浮かび上がるのではと思います。
こうしたマシンガン乱れ撃ち式就活では内定が出るかどうかはほとんど神頼み/ご祈祷状態である。だからこうした就活生たちがめでたくお祈りの嵐を受けるのは「祈ったり」叶ったりというわけである(補足:就活生の間では入社お断りのメールに記載されている「今後のご活躍をお祈りいたします」といった定型文から、落選通知は「お祈り」と呼ばれている)。さらに「就活時応募書類乱撃型学生」の周りには、ほんの数社の入社試験しか受けない「三年寝太郎型の学生」がいるものだ。こうした学生はさきほどと反対の論理で、実は一社当たりにかけている時間・労力が大きいという利点があることと、持ち前の図太い神経による何ともいえない大物感から案外にすぐ内定がもらえたりする。すると「あの寝太郎でさえも〇〇に!」と、就活時応募書類乱射型学生の焦りはピークを迎える。そうなってしまっては、悶々としながら寝太郎が受かった〇〇株式会社について「〇〇株式会社 年収」とか「○○株式会社 入社難易度」「〇〇株式会社 コネ」「〇〇株式会社 やばい」などと検索してみるが、そんなことでは焦燥感と劣等感は払拭できない。就活時応募書類乱射型学生は、こうしてもう100社、200社とさらに悪手を重ねてしまうわけである。
世界は経営でできている
描かれていることが、フィクションかどうかはわかりませんが、近年の就活生で80を超える会社へ応募書類を乱射していた学生が私の身近にもおられました。6月下旬を迎えた現在、未内定で活動を続けている学生の皆さんにはちょっときつい文章かもしれませんが、上手くいっていない原因を見つけるヒントがあると思います。
著者は、喜劇を回避するために次のようにいっています。
こうした就活生は決して能力が低いわけではなく、真面目ゆえに経営失敗の罠にかかっただけである。だからこそ経営思考を取り入れて「自分にとっての究極の目的は何で、そのためにはどんな就職をすべきか」を問いなおすだけでも就職活動をめぐる悲喜劇の大部分は回避できる。
世界は経営でできている
そして残念なことに、経営思考が欠如した就活は自分を偽るまでに至るのです。
経営思考が欠如した就職活動を行った場合、たとえ運よく有名企業に内定を得た学生であっても、それは悲劇の序幕に過ぎないということにもなりかねない。たとえば、何の信憑性も根拠もない、ネット上にあふれる「入社難易度ランキング」を気にして、とにかくランキングの高い会社を目指すような場合である。こうした発想で、外資系コンサル、外資系投資銀行、政府系企業、シンクタンク、総合商社、テレビ局、広告代理店、出版社・・・といった企業を想定年収の高い順に受けていくような就活生は多い。こうした企業への就職を希望する学生は、その実、大学受験的発想で入社ランキング上位企業に入って周囲に自慢したいだけのこともよくある。しかしそれでは内定は得られないため、仕方なくとってつけたような「志望理由」を創作する。祖父母の教えと部活とゼミとインターンシップ経験とが統合されて「広告を通じて環境問題を解決する」という壮大かつ意味不明なビジョンに至ったなどと奇妙奇天烈なことを言い出す。これまで文学に興味のかけらもなかったはずなのに突如として創作に目覚めるようだ。しかしこれには裏がある。こうした就活生は就職活動が上手くいった先輩の力を借りたり、場合によっては就活塾などに大金を支払ったりして、こうした志望理由を練りに練っているからだ。不幸なことに、度重なる面接練習を通じて、志望理由錬成型就活生は偽りの志望理由を真実だと信じ込んでしまうようになる。
世界は経営でできている
人の人格を診る/視る本質を熟知している面接官は、そういった創作に惑わされるケースはないのですが、1次、2次面接ではそうしたノウハウやスキルに乏しい人が面接官を行うことも企業によってはあるものです。そのようなこともあってか、経営思考が欠如した就活生が内定を得て入社をしたのちの悲劇も描かれています。
本書では、就活の他に仕事、家庭、恋愛、勉強、老後、科学や歴史まで、二度とない人生がうまくいかない原因をコミカルにつづられていますが、一旦読み出すと結構シリアスな場面や状況が思い浮んでくるほどに現代をリアルに描いていると思いました。夏休み前に、大学生に一読して欲しいお勧めの一冊です。