最善を尽くす

25年卒の就活が動き出した。就活生とコミュニケーションを交わし、最後に就活のエールを伝えると「最善の努力をします」と返ってくることがある。彼・彼女が初代面ではない時には、もう少し時間が取れることを確認したうえで伝えることがあります。

最善を尽くすことは素晴らしいことです。しかし、社会に出るとよくわかることなのですが、世の中には賢いはずの人が、最善の結果と自分にとっての最善の結果を履き違えることが少なくないのです。

どういうことかというと、初心での最善はその意の通りで、出来得る限り頑張ろう!といった思いの現われです。そして前に進み始めて見ると、さまざまな物事に遭遇することになります。時には高い壁であったり、深い谷であったり、思っていたことと異なる事態が起こるのです。そのうちに自分の都合にいいように物事を解釈し始めるのです。この辺りから、最善は初心の頃と大きく変化してしまうのです。

つまり、正しい見識を持つことより、自分が正しいことを証明することに意識が向いてしまう状況に陥るのです。事の大小はあっても20余年も生きていれば、あなたにも思い当たる節が1つ2つはあるのではないでしょうか。

人材教育の現場で大勢の職業人と触れてきたなかで気づかせていただいたことがたくさんあります。私にとってはどれもが宝のようなものです。なかでも賢い実務家に共通しているのが、「自分が知っていると思っていることでも、潔く意見を変えることができる」ことです。

つまり、最初からつばらしい知識や考えを持っているのではなく、誰からでも学ぶ姿勢を持ち考えを変えられる人が、その組織の中で賢い実務家として信頼を獲得してくのです。

就活では正しい判断をすることが大切、といったアドバイスを聞くことがあるでしょう。さて、この正しい判断とは何を指すのでしょうか?

この答えは一人ひとり違って当然ですが、一つヒントとしてお伝えできるのは、判断をする際にいろいろ考えますようね。その場面に、いま自分は居るなと思ったら、「視点や視座を変えて」考えることが重要と思い出してください。

自分の視点だけに囚われてしまうと、さまざまな角度から問題を見ることができません。するとどうしても死角が生まれてしまうのです。トラブルの多くは死角から沸き起こることがあると思うのです。

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