言動は本気度に相関

ビジネスだけではなく、スポーツの世界でも就活においても同様ではないかと思うことがあります。それは、どんなに準備をして精一杯に商談をおこなったとしても、契約という成果を確信するに至ることは殆どないものです。そこで、最後の最後は神様に祈ることになるのです。「誰にも負けないくらいに全力で取り組みました。どうか神様お願いします」と心の中で祈るのです。

ところが、世の中には順番が逆じゃないか? と思われる方が少なくないように思うのです。

自らは努力らしいこともせず、あるいは状況が切羽詰まったところで、「神頼み」をする光景を観ると何とも痛ましく思えるのです。神様に頼る前に、先ずはやるべきことがたくさんあるだろうと思うのです。

本当に得たい成果ならば、創意工夫を重ねながら、他者の力や知恵を仮ながら、本気で努力するものですし、そうしていると、自然と周りの人にそのことが伝わっていき、さまざまな支援を受ける恩恵に恵まれるものなのです。

本気

本気ですれば たいていの事はできる
本気ですれば なんでも面白い
本気でしていると 誰かが助けてくれる
人間を幸福にするために
本気ではたらいているものは
みんな幸福で みんなえらい

後藤静香

どれほどその成果を手にしたいのか、その本気度が成果をあげる言動に創刊するのではないかと思うのです。

ビジネスでもスポーツでも就活でも、欲しい成果を手にするまでには限られた期間があるものです。その期限を過ぎてしまうと、同じ成果であっても意味も価値も大きく異なることがあるものです。

だからこそ、「いまここ」で自分に与えられた環境のなかでも全力で取り組むことができるかどうかを、神様は試されていると思のです。

最後の最後の神頼みでは、「神様ここまで頑張りました、あとは神様に委ねます。どうぞよろしくお願いします」と、神様の前で堂々と言えることを済ませておくことが大事だと思うのです。

就活においても同じだと思います。そして、誰が見ていなくても神様だけはしっかりあなたの活動を見守ってくれていると信じて頑張る人であってください。

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