歩歩是道場

「ほほこれどうじょう」と読む禅語です。

就活に限らず、何か少しうまくいかなくて、悩んだり落ち込んだりしている人から話を伺ったとき、私からお伝えする言葉のひとつです。

横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)さんは、

一歩一歩の歩みこそが、人生の道場。

高い目標を掲げることは当然大切だが、頭で頂上ばかりを見ていては、姿勢が崩れ足もとが疎かになる。

大事なのは、一歩一歩の歩みだ。

足の裏でしっかりと大地を踏みしめていることを感じて、一歩一歩歩んでいこう。

その歩みこそが、お互いを鍛えてくれる人生の道場なのだ。

と説いておられます。

目標を掲げたものの、なかなか、結果が出ない・・・。一体いつまで頑張ればいいのか。苦しい、自分には無理なのか、努力してもダメなのか・・・。

そんな経験をされたことがない人のほうが少数派ではないでしょうか。

私にもあって、当時の上司が教えてくれたのが「歩歩是道場」です。

「歩歩」とは、「今、ここ」を指しますので、直訳すると、いま、ここは道場であるとなります。そこから、一歩一歩のあゆみそこが、修行であると解釈を進めるのです。禅の世界では、足元が崩れないよう、踏みしめる、という教えなのだそうです。

「さぁ頑張るぞ!」と目標を掲げて、努力を積む日々を続けることは、大切なことです。これも多くの人が体験済みのことでしょう。その目標が自分の人生のなかで重要度が高ければ高いほど、なかなか目に見える成果が現れてくれないものです。

そのような場面、鬱々とした状況では得てして、高いところばかりを見て成果を急いで求めても、大事なことを怠る行為になるのです。大事なのは、一歩一歩のプロセスです。いま自分が立っている足元をしっかり踏みしめている実感しながら歩むことです。その一歩、一歩が二度とない人生で善く働き豊かに生きるための修行なのだと、解釈しています。

人間、一生懸命になればなるほどに上述した場面に遭遇することも増えてくるものです。そんな時、周りや環境の責にしたみっともない言い訳を吐くのではなく、自分の足元を顕微鏡で見る思いで細部に至るまでしっかり観ることができるようになりたいものです。そのためにも自分の可能性を信じる力を持つことが大切です。

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