面接官のモノサシ

最近何かの記事に、東大に入学する学生が生まれ育った環境を調査したレポートがありました。東大入学した学生は経済面の他にも家庭環境と家族関係に恵まれている…といった内容だったと記憶しています。その人の属性と、その人が知的であることの相関はわかりませんが、一億総中流なんて言われていた時代に幼少時代を過ごした自分のことを顧みると、家庭環境も家族関係も平凡そのものでした。そんなわけだから東大に縁を持つこともありませんでした。と思いつつ頭の中に浮かんだことは、だから縁に恵まれなかったのだろうか、です。

ここから先は、他者との交流や関係性についての考察になります。

社会に出て最初の上司から人間関係につての教わったことがことです。それは、ビジネスでもプライベートでも「縁を切られても、自分から切るような男になるな」という教えです。40年も昔のことですが、この話を聴いたときのことはカラー映像で鮮明に記憶に残っているものです。以後この教えのおかげで、多くの立派な方との出会いや感動を与えてくれました。一方で、結果的に信頼していた人に騙され、ほぼ無一文になったことも、学歴もない、能力もない自分をトコトン卑下したこともありました。

振り返るとそれも自分の人生には必要だったのだろうと思える程度には成長でき、今日只今を過ごしております。高低差や振り幅、スピードに至るまでけっこうダイナミックなつくりのジェットコースターに乗っていたような、同世代のなかでは少数派の人生を過ごしてきたように思えます。

社会では関係性を無視して生きることはできません。そして、切られても自分から切らないを信条にしている私にも何かの理由があって人を判断する必要があるとき、私はその人の態度(行動)にフォーカスするようにしていいます。つまり、何を語っているかよりも何をしているか、をピント合わせのモノサシとしているのです。

  1. 異なる意見に対する態度

有縁の人は、異なる意見を尊重する。

そうでない人は、異なる意見を「自分への攻撃」とみなす。

  • 自分の無知に対する態度

有縁の人は、知らないことがあることを喜び、それについて学ぼうとする。

そうでない人は知らないことがあることを恥と思い、それを隠す。

  • 人に教えるときの態度

有縁の人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と考えている。

そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と考えている。

  • 知識に関する態度

有縁の人は、損得抜きに知識を尊重する。

そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしないうえ、役に立たない知識を蔑視する。

  • 人を批判するときの態度

有縁の人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。

そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。

5つの態度のすべてではなくても、会社で統一した評価基準の他に、多くの面接官もこうしたモノサシを持っておられる方が殆どです。いわば限られた時間であなたの心象をジャッジするように時に活用されることがあります。それで今回私のモノサシをご紹介しました。

有縁(うえん)とは、仏語で、仏・菩薩などに合い終え画を訊く縁があることを指します。転じて、互いに関わりのあること。地縁・血縁など、ゆかりがあることや深い関係があることをいいます。

親鸞の教えに「もし行を学ばんと欲(おも)わば、必ず有縁(うえん)の法に藉(よ)れ」があります。私的に訳すと、実際に自分が取り組むことを学ぼうと思うなら、自分に相応しい学び方(道)がいいよ、でしょうか。つまり、意図をもって何かを学ぶ際は、自分らしい学習方でやることでより良い学びを得られると解釈しています。

それで登場した理想の学ぶべき人物像として、有縁の人という造語をつくりました。覚者と呼ぶことも考えたのですが、既にある言葉でもありましたので、上述した親鸞の教えにある有縁の法を借用したのです。

ですから、有縁の人は博識で頭脳が明晰であるではなく、海よりも深く空よりも高く、自分自身と向き合うこと(特に自分の弱さ)ができる人をイメージしていただく方がいいのです。そういった謙虚さ真摯さを土台に自己認識(セルフ・アウェアネス)が高く、懸命に且つ豊かに自分らしく過ごすことができるのではないかと思うのです。

少し偉そうにわかったようなことを申しましたが、まだまだ勉強が浅く足りない私ゆえの理想の人としての有縁の人をご紹介しました。何かの参考になれば幸いです。

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