善くはたらく

明けましておめでとうございます。

私が「善くはたらく」と使うようになったのは、仏教が説く善悪には、「善=巧みであること」「悪=下手であること」という意味があることを知ったことがきっかけになりました。

また、仏教とは、超人的な神や仏にすがって生きる教えではなく、「たゆまぬ自己研鑽を通して苦を手放し、明るく生きよ」と説いた努力の教え、ということを聞きました。 

若かったころの体験から、同年代が青春を謳歌していた頃、今思い返しても良くできたな、と思うほどの努力を積んだ私にとっては、努力の教えというフレーズがすぅーと躰に入ってきた感覚がありました。 

ブッタは、努力の方向性と具体的な方法を次のように4つ示しています。 

  1. 今やっている、これまでやってきた「悪しきことをやめる」努力 
  1. これから先さまざまな誘惑があっても「悪しきことはしない」努力 
  1. 今もっている、成している「善きことをさらに伸ばす」努力 
  1. 今までやったことのない「善きことに挑戦していく」努力 

「悪しきことをやめる」とは、若き時にその能力をほしいままにその才能を発揮した人が、晩年、小さな自分の弱点によって大没落していった話しは人類の歴史を学ぶとそのケースが山ほどあることが分かります。ですから、歳を重ねるごとに、今やっている、あるいはこれまでやってきた「悪しきこと」を意識して、やめる努力が大事なのです。努力を積んだ成功者が小さな弱点が命取りになった報道が現代に少なくないことを考えますと、人間はまだまだ努力が足りていないことを思い知らされます。 

「悪しきことはしない」とは、努力を積み人生を歩んでいくと、やがて人生の勝ちパターンが見えてきて、経済的にも安定してくる歳を迎えます。そんな時にこと気をつけよ、との教えです。ふと、魔がさすということが誰にでも起こるのです。せっかく積んできた信用、信頼、能力、財産などを、一瞬で失うことを招くのです。安定や安心は環境として大切なことですが、そこに精神的に胡坐をかくようになるといけません。人生にはさまざまな誘惑がるもという教えを忘れてはいけないのです。 

「善きことをさらに伸ばす」とは、個人差はありますが人間はある程度力をつけると、その力をさらに伸ばす努力を怠りがちになります。昔話のウサギとカメのウサギのような思考・行動をしてはいけないのです。時代が常に成長しているのですから、自分の善を伸ばさないことは停滞ではなく、衰退に等しいことを理解することが大切なのです。 

「善きことに挑戦していく」も人間の本質を見抜いた教えです。人間はどうしても楽をしたい生きものです。無意識に楽な方に楽な方に傾いてしまうものです。歳を重ねると新たなチャレンジや冒険も敬遠しがちになります。だからこそ、まだやったことのない「善きこと」に挑戦していく努力が大事なのだと思います。 

私がかなりの頻度でお伝えしている「善くはたらく」とは、上述した4つの努力を働くことを通して実践しながら、仕事をする職業人でありたいと考えたことから始まったのです。 

今も昔も、天才と呼ばれる方々にはそうではないのかも知れませんが、この世で一流と云われる方々の人生に努力がない人は皆無ではないかと思います。 

2024年の始まりに、一人ひとりが常に努力を欠かさない、そんな事項と行動が一致した毎日を過ごし、経験を積む1年であることを祈念いたします。

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