夏目研一さんのカントの道徳哲学が学生に衝撃と感動の渦を巻き起こした、と語られています。
カントは私たちに「生の目的は何か」と問います。
イマヌエル・カントは、近代哲学の祖と謳われ、現代の思想・哲学の元を辿ればすべてカントに行き着く賢者であり巨人です。将来教育の現場に立つことを目指す学生のなかで、カントの道徳哲学を学ぶ学生が増えているようです。
老若男女問わず、「幸せになりたい」と願うのが人間の本性ではないかと思います。でも、少し耕考すると、他者に善行をして得られる幸福だけではなく、相手に苦痛を強いることで得る幸福もあるのが現実です。
仲間外れやイジメられるのを回避するためにいじめる側に回るのも、悪いとわかっていながら不正に手を染めるのも、自分の幸福のためとの行為と言えます。
そう考えると、幸福を求めることで悪へと誘導される場合も多いことに気づくのです。そこで哲学者イマヌエル・カントの道徳論では、道徳行為の「動機」と「人間の使命」の視点から「仮言命法」と「定言命法」に区別することを示しました。
仮言命法とは、人生の目的・使命の第一を幸福とし、自分が幸福になることを動機に善・徳を実践する道徳です。
善・徳が幸福になるための手段となっているので、善を行えば不幸になりそうな時には、悪を選択することにも道が開かれてしまうのだそうです。
一方の定言命法は、人生の目的・使命の第一を特性を高め善を行うこととし、道徳法則への尊崇だけを動機とします。
夏目さんの講義を受けた学生の多くが、「自分はこれまでソコソコ道徳性があると思っていたが、それは自惚れだった」と自省を話しているそうです。
自分の行動の動機を顕微鏡で観察するように確認すると、自分の利や快や幸の実現こそが本音であり、その集団として善を行っていることに気づき、愕然とするのだそうです。また、定言命法の立場に立つことで、曖昧になりがちな正義論と道徳論の区別も明確になった、と話す学生もいるようです。
正誤論と道徳論の違いを分かりやすくお伝えすると、正義論は自分や自分が属する組織の幸福を最優先する領域で、道徳論は善・徳を最優先とする領域と言われています。
SNSで自分の正義を通すために相手を攻撃すること、自国のために他国を攻めることを正義ろんでは正当化されてしまうのです。これを「阿修羅の正義」と言います。正義論一辺倒で物事を思考し語ることは、排他的な姿勢と化すことです。つまり、正義論を軸にした交流では、争いはなくならないのです。
一方で、道徳論を軸にした交流は、他者を攻撃することは普賢的に悪である、とはっきり言い切ることができますので、争いを避け、平和的解決が進むことになるのです。
文学博士で国際コミュニオン学会名誉会長の鈴木秀子さんは、「苦しいことが多い人生のなかで、厳しい現実を受け入れて、今できる限りのことをしていくところに、新しい希望が生まれる」とおっしゃっています。
鈴木さんの言葉をカントの道徳論で捉え、就活を頑張るあなたに言えることは、「就活は楽ではありません。時には心が折れそうになる場面に遭遇します。自信をまったく失ったように感じることだってある。そんな厳しい現実を受容して、時々刻々、自分ができる善・徳を最優先して精一杯やり切ると、進むべき道が見えてくるのです。
あなたが社会に出て「働く目的とは何か」。
この問いを自らに立てどれだけ深考したか。つまり、どれだけ自分自身と向き合ったか、その質と時間の総和が、あなたの就活の結果に及ぼす影響は容易に想像ができるのではないかと思います。そして、ここが自己分析で最も大切なことだと思います。
さて、あなたにとって働くとは何でしょうか?
生活のためであることは間違いありません。ただ、それだけのために働くのであれば、働くことを通して得る満足感はそうないのだろうと思います。
今一度、あなたの働く目的を言語化してみてください。